学校で教師として働いていると、さまざまな問題や葛藤に直面します。
最近特に感じるのは、保護者対応の難しさです。
子どもたちの成長を支えるために全力を尽くしたいと思っているのに、理不尽な要求や過剰なクレームによって、本来の教育活動が妨げられることが少なくありません。
例えば、子どもたちに「机の上を片付けなさい」と指導するだけで、それをわざと誤解され、「片付けろと言ったのはそっちだ」と逆手に取られる場面もあります。
その一方で、保護者からは「教師の指導が至らない」と責められることも。
そんな毎日を過ごしていると、次第に「もうこれ以上は耐えられない」と感じる瞬間が増えてきます。
教育現場では、教師が生徒に強く指導できない風潮が広がっています。
どこで揚げ足を取られるかわからず、言葉ひとつでクレームにつながることも珍しくありません。
このような状況下で、教師たちは生徒たちと向き合いながらも、心の中で常に葛藤を抱えています。
さらに、教師の生まれや見た目、話し方を理由に批判されることも少なくありません。
優秀で人柄の良い先生が、たった一人の保護者からの粘着で心を病み、辞めていく姿を何度も見てきました。
そんな姿を見るたびに、「教師とは何か」「教育とは何か」を考えさせられます。
教師たちはみんなギリギリの中で生きています。
心をすり減らしながらも、子どもたちの未来のために何ができるのかを必死に模索しています。
だからこそ、保護者や社会全体に、教師も人間であることを理解してほしい。
私たちがもっと安心して働ける環境を整えることが、子どもたちの成長にとっても必要不可欠だと感じています。
今日のブログでは、教師としての限界を感じる中で、それでも前を向いて頑張る理由について考えました。
皆さんにも、教育現場の現実を少しでも知っていただけたら幸いです。
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