私の職場には、とても人柄が良く、仕事もでき、誰からも愛される先生がいました。
その先生は、地元の方言を隠さずに話し、生徒たちからも親しみを持たれる存在でした。
しかしある日、一人の保護者から「正しいイントネーションも使えない人間が教師をやるな」と粘着されるようになり、心をすり減らしてしまいました。
翌年、その先生は退職してしまい、職場からその温かな存在が消えました。
方言は、その人が育ってきた土地の文化やアイデンティティを象徴するものであり、決して否定されるべきものではありません。
むしろ、それを受け入れ、尊重することが人と人との信頼関係を築く一歩になるはずです。
しかし、この数年、教員の生まれや見た目、さらには話し方やアクセントまでもを堂々と揶揄する保護者が増えてきていると感じます。
教師に求められるのは、子どもたちを指導し、支えるスキルや人間性であって、生まれや外見、話し方ではないはずです。
それにもかかわらず、保護者の一部は、教師の外見や背景を攻撃材料にして、自分たちの主張を押し通そうとする傾向があります。
このような保護者に粘着されることで、優秀で誠実な教師が心を病み、現場を去っていく事例が後を絶ちません。
こうした現状を見るたびに、教育現場の未来が心配になります。
教師の生まれや見た目、話し方を理由に批判し、揶揄することが許される風潮が広がれば、子どもたちに与える影響も無視できません。
教師に対する過剰な攻撃を目にした子どもたちは、「他人を尊重する」という価値観を学ぶ機会を失い、偏見や差別を助長する可能性さえあります。
教師たちは、子どもたちの成長を支えるために日々全力を尽くしています。
それにもかかわらず、理不尽な理由で批判や攻撃を受けることが続けば、現場にとどまる意欲を失うのも当然です。
このような状況が続くと、教育現場が失うのは「方言」や「個性」だけではなく、子どもたちにとっての貴重な教育機会そのものです。
教育現場は、教師と保護者、そして子どもたちが協力して未来を築く場であるべきです。
そのためには、保護者が教師を尊重し、教師も保護者の意見に耳を傾けるという相互の信頼関係が欠かせません。
教師がその人らしさを保ちながら働ける環境を守るために、私たち一人ひとりが考え、行動していく必要があると強く感じています。
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